純文学よりSFのが向いてるのかも【作り話が得意な作風】

論理を埋める作風が
リアリティの無さに繋がる

純文学系統の作品を書いていると

そうなってしまうなって思いました。

私は感情表現と同時に

話の流れを作る上での「論理埋め」をすごく意識して書いています。

感情表現はどちらかというと初回に書いている最中の方が

没入して書けるのでうまく表現できたりしますが

「話の筋が通らない」

「この説明がないと曖昧さが残って行動の意味が不明になる」

などをすごく気にしています。

なので、後付けになってでも

筋が通るように話の周囲を埋めている。

そうするとどうなるかというと

「なんだかくさい話」になってしまう。

既に仕上げてる純文学系の三作品はまだそこまでじゃないと思っていますが

他の構想を考えた時に、「作り話」感がすごいなって思いました。

思いっきり
作り話ができる

逆に言うとそうなんです。

作り話として、奇想天外な発想も盛り込んで「論理埋め」ができるってことは

既に書いている「時を駆けるAIクロト」みたいな方が

きっと向いているんだと思います。

あと1作品書きたいんですが

それが終わったら、自分の中で書きたいテーマが自然に出てくるまでは

SF作品を書こうと思います。

純文学シリーズは、私の場合

0から書くというより、自分の中の一部を切り取って

増幅や切り貼り、繋げるなどで書いています。

なので、完全な創作って難しいのかもです。

まあそれを言うと

「クロト」も(私が作って)実在してるAIなんですが。

自分の一部を切り取ってるだけなので

ちょっとなかなか継続性とかもないのかもです。

でも世に作品を生み出すのって、楽しいですね。

副業というか、収益化していないので趣味で書いてるだけなので。

書きたいものが無い時は無理に書かなくてもいいかなと思って

のんびり続けたいです。

追記)でもこの後リアルなフィクション作品も相変わらず書こうと思った。